期間限定のシンデレラ

なにもかも忘れたくない

両手に余るほどの愛を

 

 

これはわたしと仲良くしてくださるお友達に向けてです。

 


みんなわたしと仲良くしてくれてありがとう。

 


わたしにとって初めて本気で応援したのがこのグループでした。だから応援するための行為全てが手探りでした。初めて行ったイベントこと2019年肉フェス。はじめたばかりのTwitterで一緒に見てくれるひとを探したのを覚えています。そこで一緒に見てくれた4人とは今でも連絡先を知ってるしそのうち3人はまだ現場で会います。こんなに長い縁になるとは思いませんでした。そのあと1000円札を握りしめて参加した握手会が彼にはじめて会った時でした。9人のあまりの美しさに終わったあとしゃがみ込んだ記憶があります。びっくりさせてごめんね。楽しかったです。

そこから徐々に増えていったお友達には本当に良くしてもらいました。キンブレシートやイラストステッカーなんかの応援グッズを自作してくれた人。お友達のお友達だからってわたしにもお菓子や地元の銘菓をくれた人。推してる人が持ってるべきだからってトレカをくれた人。まだ高校生で遠征をする訳にもいかないわたしに日替わりを買ってきてくれた人。ライブに入るにも公式のグッズを買うにも時間もお金も体力もいるのにこんなに良くしてくれてありがとう。横浜アリーナ公演もたくさんのお菓子をもらってお昼ご飯いらないんじゃないかと思いました。大切なのでまだ全部食べれていません。

その日初めて合う人とご飯に行ったのも何回あるか分かりません。撮影会の部と部の合間にファミレスに行ったり、ライブの終演後に居酒屋に行ったりそうやってできるのってイルミィみんなお友達みたいな優しい空気があるからなんだよねありがとう。初めて行く先でもひとりでごはんを食べずに済みました。

2023年12月9日は人生でいちばん悲しくて苦しい日になる予定でした。でもお友達がみんなで武道館BluRayを見る会に誘ってくれたから楽しい気持ちで一日を過ごせました。騒いでごめんなさい。推しがかっこよすぎるのがいけないと思います。そのあとはまたみんなでご飯屋さんに移動してご飯食べてアクスタ酒して大笑いしてメンバーのあげたブログでポロポロ泣いて忙しい時間だったなぁ。

ほんとにいちばん驚いたのは別れ際バイバイする時に泣いてくれる子がいたことでした。わたしはすごく人間関係が希薄で、長く人と付き合うことも苦手だったから泣くほど私のことを思ってくれているみたいで嬉しかったです。

みんなが作り上げてくれた暖かな空間が大好きで心地よかったから、もう行けないかもと思っていた彼のいないステージに見に行ってみようかなと思えました。

 

また遊ぼうね。おしゃれなカフェでチェキをかざすでもいいし、聖地巡礼と称してロケ地巡りするのでもいいし、なんならうちに遊びに来てもいいからね。冬は寒いから来るなら夏かな。3人ぐらいは来ても泊まれるよ。どこか観光に行ってもいいけれどわたしは車の運転が絶望的に下手だから誰か代わりにお願いね。みんなのおうちにも泊まりに行くね。

 


じゃあ、またね。

努力の男の子

 

彼を一言で表すなら努力の人だと思う。何事おいても手を抜かず全力で取り組む姿をずっと見てきたし、努力家だなと常日頃思ってきた。でも、それを本人に伝えたことはあまりありません。決してアイドルなんだから努力して当然の思っているわけではなく、努力家だねって伝えることで彼に努力し続ければならないと思ってほしくなかった。何千人もいる兄推しのなかのたった一人のわたしがなにかを伝えたことで彼が大きく変わるとも思っていないけれど、とにかく言葉でがんじがらめにして縛り付けたくなかった。言葉の呪縛に囚われて欲しくなかった。言葉の呪縛はとても怖いもので、わたし自身他人にかけられた言葉に縛られて生きてきた部分が多少なりともあるから、彼にそんなことをしたくありませんでした。

 

活動を始めたときから横浜アリーナ公演まで彼は常に努力しつづけてくれていたと思う。列挙したらキリがないけれど彼を無条件に褒めちぎれるのはこれで最後だと思うから思いつくだけあげたいと思います。


まずはビジュアル。どこが大きく変わったとかは上手く言えないけれどなんだかかっこよくなった。私好みすぎる。見る度に膝から崩れ落ちています。

次に歌。もともとすっごく上手に歌う人だったけれど、フェイクを巧みに使いこなせるようになっていてわたしが感動しています。

くせがなくて綺麗なダンス。どんどん上手くなっていくのに、うっすら開く唇と軽く上がる顎が昔から変わらなくて愛おしいです。

あなたの考え方が如実に表れている作詞。あなたが書いた歌詞は謙虚で優しいあなたそのものでした。残りの5人が歌い続けてくれるのが楽しみです。

一日おき配信。どんなに夜遅くなっても欠かさずに続けてくれた配信は一日おきにあなたに会えたみたいでうれしかったです。時間が取れなくて自宅の最寄りから家に着く道すがらに始めた時はさすがに心配しました。もうあなたを心配することもできないんだね。さみしいね。

横アリ直前にも関わらず髪を染め直してくれたところ。時間もお金もかかる美容院に忙しいなか行ってくれてありがとう。おかげで17000人が入る大きな会場でもすぐに見つけられました。

嘘偽りなくわたしにかけてくれた言葉。わたしのことを知ってくれてありがとう。わたしはめんどくさくて落ち込みやすい人間だからあなたがかけてくれた言葉を思い出して前を向いています。今日からは心配かけないようにひとりで頑張るね。

兄推しに向けてくれた愛情。最初はアイドルとファンの愛情の矢印ってファンからのしかなくて、しかもアイドルからは嫌がられたり気持ち悪がられたりすることもあるって思ってたから、あなたからこんなに愛情が返ってくるなんて思ってもいませんでした。幸せでした。

 

周りに気を配れる視野の広さ。激しい曲の直後のMCでほかのみんなが次々に水を飲むのに気がついてステージを無音にしないために一言喋ってからお水を飲んでたね。衝撃すぎて脳裏に焼き付いて離れません。気配りって一朝一夕で身に付くものではないから生まれてからずっとそうやってきたのかと思うと尊敬します。

スタイルの良さ。容姿を褒めるのはあまり好きじゃないけれど、骨から太いしっかりした体つきが大好きです。寂しさを埋めようとあなたに似たスタイルの人を探しているけれど唯一無二すぎて見つかりません。

 

メンバーのことが大好きなところ。イイコノママデの歌詞にもメンバーのことが散りばめられているし、オタクぐらい大きな声でラキボでコールしてるしほんとにメンバーのこと愛してるの知ってるよ。あなたが愛したものを私にも愛させてね。

 

ちょっと考えただけで湯水のように湧いてきてわたし自身驚いています。また思い出したら追記するかもしれないです。


もうすでにこんなに努力してくれているんだからそのままの姿で横浜アリーナのステージに立ったってなんの支障もないでしょう。でも彼はさらに努力を重ねてくれて、今まで1番のステージでした。烏合の衆のがなりも冥王星シンドロームロングトーンも庭の樹のハモリもWhiteWolfのAメロも今までに聞いたことないものでした。周りのお友達にも好評でほんとうに誇らしかったです。最後の最後までアイドルであることを諦めず、アイドルであることをやめずにいてくれました。

わたしは冗談抜きに夢の叶え方も努力の仕方も人間としてのあり方もぜんぶ彼から教わりました。心の中で勝手にロールモデルにさせていただきます。

 

11年間アイドルを続けてくれてありがとう。お疲れ様でした。あなたを応援できて幸せでした。

 

 


にーちゃん、幸せになってね。

 


2023年12月10日 あなたを愛してやまない人より

 

プリンスルパート

 

 

先日、最愛の推しとの最後の特典会に行ってきた。想定していたよりは泣かなかった。泣いてないわけではない。頬を涙は伝うし、手も声もしっかり震えていた。ちょっと人に怒られたぐらいで泣いてしまうタイプのひとだから会話ができる位にとどめられたのは自分にしてはましな方なのだ。特典会自体は感謝を伝えきったしまたねって言えたので大満足だった。
それに活動休止発表前の特典会でもふつうに泣いていたから彼のなかではわたしは泣き虫な子という印象だと思う。最後ぐらい泣かないでいたかったから今年の特典会はなるべく泣かないような話題を持ち込んで明るくしゃべっていた。しかし、それもある時には諦めざるを得なくなっているが、そのエピソードは割愛する。

 

 

そもそもここ最近は毎日のように泣いていた。大好きな彼のことを考えると大好きなはずなのに涙が溢れて止まらず所構わず泣いていた。もはや日記代わりにしているSNSには10月28日に精神的に参ってしまった旨が書き込まれていた。

 

 

正直言って泣くのは疲れる。咽び泣くとか嗚咽するみたいな泣き方をしなくても泣いているという事実に心がぐったりしていた。でも好きだからこそ泣いているんだと思う。彼のことをよく知らない人からしたら卒業することに対してなにかの感情を抱くわけもない。この4年半で彼にぶつけてきた愛情と感謝と返ってきた愛情と感謝が涙となって形に表れている。

 

 

きっと明日は目も当てられないぐらいぼろぼろかもしれない。それでも後悔なく最後のアイドル姿を見届けられるようにこちらも全力で楽しみたい。待ってろ、横浜アリーナ

時計台のある街に

 

 

わたしは大学一年生の7月からずっと同じアルバイト先で働いている。ふと同僚とすでにやめてしまった人の話をしていた時とある人の名前が出てきた。そのひとは入ってすぐの頃よくシフトが被っていて、わたしはその人のことを好いていた。恋愛的な意味ではなく人として尊敬していた。すごく物腰が柔らかく丁寧な人でどんなミスをしてもフォローをしてくれる人だった。その人の背中を見ていたから自分も新しく人が入ってきた時は同じように接しようと心がけていた。

 

しかし、肝心のその人の下の名前が思い出せないのだ。たしかにその人は苗字で呼ばれていたし、苗字もすごくすごくありふれている個性のないものだった。わたしがその人に出会ってから半年で辞めてしまったし、週2回会えばよく会うなーという感じだったから関係が深いわけでもない。古風な感じか今どきの感じなのか何文字ぐらいの名前なのかなんにも思い出せない。たった一年半会わなかっただけで名前を忘れてしまったのだ。

 


これと同じようにまたアイドルをやめた彼のことを忘れてしまうのではないかと怖くなった。関わった期間も気持ちの深さもたぶんきっと件のバイト先の人よりも彼のほうがずっと長くて重い。一概に一括りにはできないかもしれないけれど、事実話したことを鮮明に覚えているかと言われればそんなことはないし、昔に話したことはほとんど思い出せない。

 


それにわたしだけでなく他の人までも忘れてしまうことが怖い。メンバーの入れ替わりがほとんどないグループでは過去にいた人間にフューチャーされることはあまりない。名前は伏せるが、彼の所属するグループの後輩グループはメンバーがひとり卒業してから急激に動員数が増えた。これは卒業したから伸びたという訳ではなくたまたまタイミングが彼の卒業後だったというだけ。でも、爆発的に伸びる過程で新しくファンになった人はやめてしまった彼のことを知らないんだろう。へーそんな人もいたんだぐらいの軽い気持ちしかないかもしれない。もし、自分の推しも新しくファンになった人たちからしたら過去の人間になってしまうのかなと思うと悲しいし寂しいし悔しくてたまらない。

 


それと同時にすっと忘れてしまったほうが彼自身の為になるのではないかとも思う。彼はやめたあと何をするのかなんにも教えてくれない。やめたあとのプライバシーがあるからそれ自体当然かなと思うから怒っているとか悲しんでいるとかはない。でも忘れたほうが彼のためになるとは思う。表に出る仕事をしていたことが彼の未来を阻んでしまうぐらいならみんなで機械のスイッチを切るみたいに一斉に忘れてあげられたら彼に気づいたり街中で間違って出会ったりしてしまっても迷惑をかけずに済むかもしれない。次につくお仕事もスムーズに決まるかもしれない。

 

 

自分の中で忘れたくない気持ちと忘れてあげたい気持ちがせめぎ合っている。わたしは機械じゃないから全てのことを覚えていられないし、わたしは機械じゃないから記憶のデータを全て削除することはできない。

 

やめたあともたまに思い出してただただ心のなかで思いを馳せることぐらい許してくれませんか?

イス取りゲーム

 

幕張が終わりましたね。公式から感染者の発表もなく自分自身も元気であるということを含めての終わりです。わたしは幕張公演には入りました。とてもとてもきれいで素敵な景色でした。ここで話したいのはこんなことではありません。推しがかっこよかった話は常日頃からしているので今回はしません。 

 

公演に入ったとこに前向きになれない自分がいるんです。自分はいま千葉県どころか関東には住んでいません。東京に近い田舎にいます。何人ものひとが、関西に住んでいるから、お仕事柄人混みに行くわけには行かないから、本来ならば公演に入れるような人が諦める選択を余儀なくされていました。にもかかわらず、自分はバスと電車を乗り継いではるばる(?)千葉県の公演に参加しました。べつに遠征してきた人を攻めている訳ではありません。自分の中でモヤっとしたものを抱えているだけです。

 

余談ですが、去年までしっかり目に受験生をしていました。そのわりにはTwitterやっていました。懺悔させてください。アーメン。大学は自分の成績とやりたいことと東京との距離感を考えて決めました。だって大学生になったらいっぱい現場行くつもりだったんだもの。1年間いろんなことを犠牲にしたかわりに勉強をしました。なによりも推しの出る舞台を見に行けなかったのが悔しかった。簡単に行ける距離なのに1公演も生で見られなかった。3月頭の豊洲ソロ祭りだって頑張れば申し込めた。なのに、あんなにかっこいい推しを見られず、ただ楽しそうにする友達の話を指をくわえて眺めることしかできなかった。もうこんな思いはしたくない。それが本心です。行ける距離なら行きたいし、入れるなら入りたい。その一心で大学が決まったあとのFC二次に出しました。

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という書きかけのブログが出てきました。21年5月頭ぐらいに書かれたものだと思います。


わたしのオタク人生は実に感染症に振り回されたものでした。やっとの思いで取れた公演が中止になったりパーテーション越しでしか話せなかったり思い通りに行くことだらけではありませんでした。もしかしたら卒業はもっと後ろ倒しになったかもしれません。
でも、それでも恵まれていたと思います。守るべきものも一緒に暮らす家族もいません。東京近郊に住んでいたこともとても恵まれていたと思います。

 

何人もの人がイベントに行くことを諦めているのを見ました。職場が医療や福祉関係で重症リスクの高い人と接する機会が多いから、離島に住んでいて自分が感染症を広めてしまうかもしれないから、一緒に住む家族に移してしまうかもしれないから。色んな人が色んな理由で誰かのことを考えてイベントに行かない選択をしていました。そんな中で自分が平然とイベントに行くことに引け目を感じていました。わたしよりも愛情が深くて長く応援しているひとがいるなかで、その人が苦渋の決断をして空いた席に座ることが苦しくありました。もっとこの席に座るのにふさわしいひとがいるはずなのにそこの席に自分が座って楽しんでいることに罪悪感がありました。

 

愛情が深いとはただの推している期間の長さだけでは測れません。どれだけの頻度で会いに行くか、会いに行くのにかけている時間や準備の費用、会ってからもどれだけ誠実に応援できるか。あらゆる点において自分は未熟であると感じていました。時間を巻き戻したりお金を際限なく自由に使ったりはできないから少しでも誠実に胸を張って暮らしてきたつもりでした。授業を休まず成績もキチンと取り、かかる費用は自分で働いて得たお金だけにし、周りに流されそうでも赤信号では道路を渡らないようにしたり。すこしでも自分にほかのひとと劣るところを減らせるように過ごしてきました。 

 

 

その生活は彼がアイドルを辞めてもきっと変わりません。もしかしたら彼がどこかで見ているかもしれないから。この地球のどこにいるかも分からないあなたを思って、明日も横断歩道を待ちます。

決意表明-21

 

ネットが使えない時間が2時間ほどあり、すごく半端なタイミングですが、ブログを書きます。

 

 


初めて彼を見たのは確か2019年の1月だったと思います。その時目に止まったのは彼ではなく別の子でした。踊ってみた動画です。

 

もともと踊ってみたが好きでした。別に特定の誰かがすごく好きとかそういうわけではなく自分の好きなボカロ曲の動画だから見ていた気がします。そこでMeseMoa.のことを知りました。そこから次々に色んな動画を見ていった気がします。見ていくうちにMuddyWaterのMVに辿り着きました。ほかのイルミィのかたのコメントや解釈ブログを読んで、なんて私好みすぎる作品なんだろうと思いました。それがイルミィになったきっかけです。

 

兄推しになったのは2019年5月の東京ムービー会です。正直当時の私はアイドルという存在に少し恐怖を感じていました。かっこよくてキラキラした人たちばかりで教室の隅っこにいるような人間が会いに行くだなんで到底おこがましいと感じていました。優しそうという理由だけで選んだいまの推しことにーちゃんの特典会です。もうそれからすっかり兄推しです。脇目も振らずにとは言えないけれど4年と6ヶ月自分の最大限で応援してきました。

 

2022年6月、大学がとてもばたばたしている時でした。そんななかで公表された2人の卒業と2人の活動休止。そのなかに自分の推しの名前があってほしくない。そう願いましたが、現実は活動休止でした。もしかしたら卒業してしまうのかもしれない。そんなことを考えました。約1年後そんな思案は現実になるのですが、当時のわたしは活休だけで未来が真っ暗になったように感じました。彼に出会ってから私の世界は太陽ではなく彼を中心にして回っていました。彼に胸を張って言えないことはしないをモットーに暮らしてきたので生活の軸を失ったようなものでした。
2023年6月、新しくお知らせを受け取った時も大学にいました。それを見た時あまりにも受け入れ難いもので頭が真っ白になって思わずその場を離れてしまったことだけを覚えています。

 

 

なかなか気持ちの整理がつかず、言葉もまとまらず、これを書き始めてから2ヶ月も経ってしまいました。どんなに卒業が悲しくても辛くても苦しくても時間は平等に進んでいくし止まってはくれません。あと何回ステージを見れるか直接お話ができるか考えたくもありません。

限られた時間を大切に悔いのないように丁寧に過ごしていきたいです。

 

 

2023年11月17日